円形脱毛症でずっといじめられてきたのに私が不登校にならずに学校へ行けた2つの理由

出典: http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im2639438 

こんにちはー!脱毛系女子のさなです。

「脱毛系女子」って打とうとしたら「脱毛系女児」って打っちゃったよ。

今は明らかに女児ではないんですが!!

昔はしっかり脱毛系女児でした。

私は小学校3年生で脱毛症が発症し、小中高とウィッグで過ごしてきました。

ええ。そりゃもう。

格好のいじめの標的でした。

学校とかフツーに地獄だよね。誰が行くかよって感じだよね。

そして今の時代もそれはきっと変わらないんだろうなぁ・・

昔の私と同じように

今脱毛症でいじめられて学校に行きたくない子。

その子の親御さん。

そんな方たちの参考になればいいなぁなんて思ったので

私がいじめられながらも毎日学校へ行けた2つの理由があるのでお話します。

その1.母親の強さと愛情

もうほんとこれに尽きると言っても過言ではない。

子供のころを思い出すと、

私は親から愛情しかもらってこなかったような気がするほど。

いや悪いことをしたときはビンタもされたけど・・

あ、高校生の頃はいじめはありませんでした。

なんていうかめっちゃ自分のカラーの合う学校に入れたので、みんなと仲良かったし、マイペースに過ごせたんだよね。

まぁ高校生ってもう大人になる時期だし、みんないじめより楽しいことがあるって感じであんま私に興味がなかったんだと思う。

でも小中はすごかった。

小学校の頃はとにかく「ハゲ」を連呼されて笑われて仲間はずれ。

消しゴムやらハサミやら(危ねっつの)しょっちゅう飛んできてました。

磁石か私は。

当時バンダナだけで隠してた時期もあったんですが、

そのバンダナを悪ガキ男子に取っ払われてしまい、

ハゲをみんなに曝して笑われながら図工の授業をやってました。(返してくれなかった)

先生も見て見ぬふりというかあんま気付いてくれなかったんだよねー。まじで使えなかったなー

恥ずかしくて、悲しくて、みじめで、死んでしまいたかった。

暴力をふるわれても、何かを投げつけられても、

私はあんまり泣かない子供だったけど

その時ばかりは泣きはらして家に帰りました。

まぁ母はどうしたの!?ってなりますよね。

私はその日学校であったことを正直に話しました。

その時母は、泣きじゃくる私と一緒に泣きじゃくってくれて

「そんなことされて悲しかったね」「あんたは何一つ悪くない」

と私を強く抱きしめたかと思ったら

どこかへすっ飛んでいきました。

どうやら私のバンダナを取り上げた男子の家まで怒鳴りこみに行ったらしかった。

そんで私をいじめるグループの家をはしごしてたらしい。

そのあとすぐにその子達のお母さんと本人達が揃って私の家まで謝りに来た。

ものすごい剣幕で怒る母に、いじめた本人達も泣き出しちゃって

「ママ、モウイイヨ・・」って思うくらいだったけど

その時思ったんだよね。

「あぁ、この人がいれば私は怖くない。」って。

何があってもきっと守ってくれる。

世界中の人が敵になったとしても、この人だけは一生私の味方でいてくれる人だ。って

この人を心配させないように、笑って学校へ行こう。

今日は楽しかったよ!って聞かせてあげよう。

そんな気持ちにさせてくれたのは

一緒に悲しんでくれる姿。一緒に怒ってくれる姿。

私は普通の子じゃないから、生きていていいのかな

って思ってた私に

母は「生きていてもいいんだ」「自分は母にとって大事な存在なんだ」

っていう絶大な安心感を私に与えてくれたのでした。

 

その2.味方になってくれる友達

中学校に入ると、いじめはどんどん陰湿になっていって

ただ笑われるとか、殴られるとか、そんなんだけじゃなかった。

教科書がビリビリだったり机と椅子に牛乳が表面張力をおこしてたり(今思うとおもろい)

私に近づくと「感染する」とかいってバイキン扱いでした。(しねーから!)

上から給食のしいたけが大量に降ってきたこともある(しいたけ嫌いだった)

でもやっぱり母に心配をかけたくなくて、学校は休まなかった。

みんなが感染を恐れて(しねーけど)私を避けるなかで

感染を恐れずに(ほんとしないんだけどね)私に近づいてきてくれた子がいました。

最初に話しかけてきてくれた時は

「その筆箱、かわいいね」とかだったと思う。

超びくびくしながら「あ・・ありがとぅ・・」とか答えてた。

そっからよく話すようになって

教科書見せてくれたり

一緒に遊んだりするようになって

わたしはその子にもいじめが移るんじゃないか?

って思って心配だったんだけど

心配いらないくらいその子は強かった。

その子の家に遊びに行ってカツラ外して遊ぶとかまで出来るようになった。

私のみすぼらしい頭を笑わない人が存在して、

心から信頼できる友達ができて、本当に嬉しかった。

気が付けばその子の友達とも一緒に話したりするようになって

仲良いって言える子が増えてった。

みんないじめを黙認してたのが嫌だなって思ってた子たちだった。

しつこくいじめてくるグループはいたけど

友達が増えるにつれていじめから守ってくれることも多くなった。

なんで私に話しかけたの?って聞いてみたことがあるけど

「いじめられてんのに学校来てて強いと思った」

「なんか面白そうなやつだと思った」

とか言ってた。

学校、頑張って行って良かった

って超思った

今でもたまに飲みに行くよ。

最後に

どうしてもこの頭は、いじめる側からするといいターゲットになってしまう。

大人になった今なら、そりゃハゲとか面白いもんな~とか思えるけど

いじめは、子供にとって命を失くしてしまってもおかしくないくらいのもんだと思ってる。

よくいじめは「いじめられる方にも問題がある」とか言うけど

2億パーセントねーからな。

何も悪くない。一切の非はありません。

私は好きでこの病気になったわけじゃないからです。

でも

「あんたは何1つ悪くない!堂々としてなさい!」

と、鼻息を荒くしながら言う昔の母の言葉を思い出して

「ふふw」って今は笑えるくらいになれたのは

まぎれもなく母と、周りの暖かい人たちがいたからです。

私は明るいね!とか元気だね!とかよく言われますが

すごく弱くて、ネガティブで、全然ダメなやつでした。w

きっとみんながいなかったら

1人で部屋の隅っこで泣いてることしかできませんでした。

周りの人に救われて生きてこられたんです。

だから、強くなんてなろうとしなくていいです。

たくさん泣いていい。

学校だってたまには休んでもいい。

そのまんまでいいです。

その代わりに少しでいいから周りにいる人を、頼って欲しい。

「悲しいんだ」「辛いんだ」

って感情をぶちまけてみて欲しい。

一人でこんなに頑張ってる姿を、見てくれる人は絶対いるから。

心の悲鳴を聞きつけてきてくれる人は絶対いるから。

絶対に、助けてくれるから。

あんな絶望の中にいたのに

大人になって今はこの病気になって良かった。って思えてる

いじめられて良かったとも思う。

人をいじめる人よりもはるかに、

人の痛みが誰よりも、わかるから。

誰よりも人に優しい人でいようって思えるから。

人は、そんな優しい人のもとに集まっていくと思うのです。

私もそんな人が大好きです。

コメント

  1. アバター 通りすがりのハゲ より:

    元気になれる記事をありがとう!